有毒植物の生命力2
植物の反乱
絶滅の一途にあった植物の中で、極めて意識の水準の高い意識体が覚醒し、動物の攻撃的な捕食や病原性微生物の感染に対して、有効な対応策を考える意識体をもつ藻類が出現してきた。
リン酸カルシウムや炭酸マグネシウム、二酸化珪素などを材料に炭素と水素の単純な連続体である分子の隙間にそれら硬い元素で壁を作ることを考えたのだ。
それは動物の鋭い牙、又は顎に対して耐性をもつ炭酸マグネシウムやリン酸カルシウムなどの外殻で葉肉を覆う鎧のようなものだった。
あるいは植物体内で元素を分子化して、強烈な生理活性作用があるアルカロイドのような薬理物質を合成しその動物を細胞内の液胞に貯蔵し捕食動物を威嚇、または中毒させる化学物質の製造である。
つまり無防備な植物の反乱である。
現存する1000万の植物は様々な方法で動物に対する捕食から身を守る防御機能を進化の過程で獲得した。
史上最強の猛毒植物トリカブト
それは5億2000万年前に生物ビックバンを起こしたカンブリア前紀に強靭な牙と外殻をもつ甲殻類アノロマカリスよりも恐ろしい致命的な液体毒であったトリカブトの出現だ。
この毒は一度体内に入ると致命的でごく微量でも猛獣を一撃で倒すことができる毒であった。
トリカブト出現はおそらく藻類から進化してきたトクサ科の後に藻類から分化してきたものと考えられる。
おそらくそれはジエラ紀の時代であろう。
トリカブトの天敵は肉食動物よりも雑食か、草食動物のいずれかであろう。
獰猛な歯と強靭な顎と視覚器官をもつ草食動物は柔らかい葉肉のトリカブトを貪欲に捕食したに違いない。
さらに根茎は柔らかい肉質の球根であった。
それら地下茎や花、果実球根を食いあさる動物はトリカブトの恐ろしい天敵である。
トリカブトはこれら動物の捕食による絶滅を恐れ植物史上最大の毒性をもつアルカロイドを合成し恐ろしいは捕食動物に立ち向かったのだ。
その毒とはアルカロイドのアコニチン、メサコニチン、タラチサミンなどだ。
特にアコニチンは動物の心臓に対する毒性が強く、カエルの動物実験では心臓を標的にしたことがわかる。
このカエルの実験では心臓を抑制するが、ただちに心臓収縮現象が強まり心拍数が早くなり、収縮現象がさらに増加し不整脈が起こる。
やがて心臓の収縮現象が弱まり、拍動が停止する。
この一連の現象は、アコニチンが迷走神経を興奮させることにより起こるといわれている。
トリカブトの毒の部位
キンポウゲ科のトリカブトがアコニチンという猛毒物質を産んだ背景には、代謝より繁殖能の低下が起因していたと考えられる。
トリカブトは種子と球根の分球で増えていくのだが、分球数がユリ科のように活発ではない。
つまり極めて繁殖能力が劣るのだ。
分球数が少ないというのは繁殖に不利な要因として働くことになる。
主根たる鳥頭は老衰すると側根が表れる、これが成長し最後に主根と交代することになる。
そこでこの主根が草食動物に捕食されると子孫の存続が不可能になる。
トリカブトは古代捕食動物の餌食となり生存の危機に直面しその対策を講じねばならなかったのだ。
それがアルカロイド塩基性のアコニチンであった。
トリカブトがこうした猛毒の合成をしなければ絶滅しただろう。
生命は形質を未来に受け渡すという持続の永遠の線上にある。
これを失なえば生命とはいえない。
存亡の危機に粒子、クオーク、原子、分子、高分子の統合意識が目覚め、デオキシリボ核酸という記憶に存在しない新しい遺伝子を製造せねばならない。
意識は目的を達成させるためにアミノ酸分子能動的リボザイムを作り、植物体が存在する窒素、酸素、水素、炭素、リンを捕集し、有機的な化学反応を起こさせ、構造的な塩基性のフッ素間窒素化合物を作ったのだ。
このようなアルカロイドの植物体合成過程には極めて複雑な化学的反応過程を得なくてはならない。
例えばアミノ酸が脱酸素反応を起こしてアミンとなりアミンが酸化、還元、縮合、転移、メチル化などの生化学的反応をえて
真性アルカロイドとなる。
このような化学物質をトリカブトは細胞内に酸と結合させて溶け込ませている。
これをゼロからやるには量子力学、物理学、化学、生化学、生物学、分子生物学、医学、解剖学、あらゆる高等な学問が必要になる。トリカブトは別にそのような専門教育を受けておらずほとんど無学なのだ。
にもましてこのような複雑な化学的知能があるということはまさに人類の科学を超越した驚くべき知性である。
一つの草は無限の未知の宇宙である。
人はこれを完全に解明し認識することはできないだろう。
たしかに植物は元素エネルギーの代謝システムの構造的な違いにより自立生命体として存在し動物のような脳やそこから発達した神経組織、それと連結した運動機能、筋肉・感覚、触覚、味覚、聴覚、思考性、などの能力がなく下等な生物として分類されているが実は此の投稿でわかるように人知を超えた存在である。
どのような低次の微粒子であろうが、単細胞のバクテリアであろうがすべて意識が存在し感覚と意思がある。
それを人は見ることも感じることもできないだけである。
生命力の探求、それは永遠に無限に続くことになるだろう。
それは膨大な宇宙だからである。
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