竹の旺盛な生命力は基本的に珪素の力である
竹の生命力
竹は花を開花させ、種子をならして繁殖する機能が低い。
したがって100年に一回しか花を咲かせないのだ。
植物は進化の過程で意識亭な知性レベルに応じて構造と機能を発達させる様式が多様であった。
つまり竹は種子繁殖を諦め、根茎を成長させそこから新しい芽を出す方式に切り替えたのだ。
これはイネ科がもつ特異性でもある。
竹は根茎の成長点之部位にガン細胞の芽を配分させあらゆる方向から再生するのだ。
その猛烈な成長速度を支えるのが進化の過程で合成した6種のホルモであった。
竹はこれにより生命維持と成長、繁殖に必要なすべての要素とエネルギーを得ることになる。
竹は自ら高等教育で学ぶことなく、物理的に不可能な異常な成長を支える数学的、幾何学的、建築学的な全ての頭脳を結集させ竹節を作る。
それは弱い空洞を補強するための柱の役割がある竹節である。
その竹節は一幅の狂いもなく均一に設計される。
これが科学的認識で意識や知性が存在しない植物であるかどうかだ。
理論的に竹は人類の高等に進化した大脳新皮質をもつ脳よりはるかに超越した高度な知性をもつのだ。
そしてまたそれこそが竹が自然の苛酷な激烈な変動を生き抜いてきた力なのだ。
私はこれを生命力といいたい。
おそらく地球で生きた竹のエネルギーにまさるものはないだろう。
現代人類が直面している重大な問題はまさにこの竹のような生命力なのだ。
遺伝子組み換えやゲノム編集などほとんど有害科学的研究は盲目的愚行でありほとんど意味がない。
爆発的な成長力をもつタケノコから取れる竹水にはその成長に必要なすべての元素、特殊成分、
殺菌物質、ホルモン、免疫力増大物質などの液体免疫が濃縮される。
それは知性で進化した竹の細胞の細胞で生合成される要素である。
したがってその水はクラスターが極小であり生物の腸から吸収されやすい。
人間の細胞は酸化するが竹の水は腐らず酸化することはない。
ここが死んだ水と生きた水との違いだ。
そしてそれだけに竹の生命体に存在する特殊な細胞の分子構造とそれにより生まれてくる有機化合物は人類が創造できないものである。
竹の成長は決まって法則のように45節で決まる。
それは胎児細胞がガンの爆発的な増殖に歯止めがかかる性腺刺激ホルモンと共通した性質がある。
これは生物同士の生物学的生態系の秩序、生命倫理の普遍的な制御てもある。
竹は自ら知り無分別な成長を止めるのだ。
そしてその成長を止める物質こそ、人類が直面するガンに対して制御の力になるだろう。
竹にはこの他にも驚愕すべき能力と効能がある。
この方面にはさらに思索をしていきたい。
神の木「竹」
神秘的な竹水についての分析はこれからである。
おそらく世界最強最大の生命力が竹水に圧縮されていると想定できる。
一日3メェトルを超える猛烈な成長力てある。
土があると100メェトル地下茎を伸ばしてそこから芽を出す拡散力であった。
そして竹は生物生態系の調和の一員であることを悟り、45節で生長を自発的止める。
つまり成長と停止の抑止力、これを調和拮抗と呼ぶがそれらすべてを竹はもつ。
ここで推定できるのは竹には細胞の活性化を促進させる物質と新しい細胞を蘇生させる力があるということだ。
生命のプログラムである無限の増殖と拡大、つまりガンを制御する物質も含まれる。
これらにより、これから竹水の飲用により劇的な奇跡が起こるだろう。
それは近代医学で不可能な重度の慢性病と難病である。
農薬と化学肥料
人類の軽薄で無知な近代農法は農薬と化学肥料を作物にかけることだった。
その結果地球の土地は動かなくなったか、数億年の歳月をかけて沈積した表土が毒で汚染され生物が
住めないような死の土地となった。
ミミズも昆虫も微生物も存在しない不毛の土地だ。
必ずこれは自然の循環の法則により作物に伝達されて人間がこれらの毒液を食べることになる。
連作障害が必ず起こり、さらに強力な農薬と化学肥料が連鎖的に追加される。
結局はバクテリアさえ住めない土になる。
そこで栽培される作物はすでに命ではなく、花も種子も発芽もしない生命の本質を失った
加工食品である。
こんなものは地球自然には存在しない。
その結果近代人類は生命力を失い、免疫を喪失し、慢性病、アレルギー、ガンに侵される。
因果応報である。
毒を撒くものは必ず毒をかけられる。
化学肥料の革命
革命の方法はいくつかあるが、竹が解決することになるだろう。
竹の旺盛な生命力は基本的に珪素の力である。
竹の垂直に伸びる青茎には動物や虫がつかない。
驚くべきことであるがカビや細菌、病原性の細菌さえつかないのだ。
それは人類の科学と知性を超える竹のハイレベルの意識であった。
竹の全体には猛烈な殺菌力がある。
これに加え竹は天敵に捕食されないように茎に堅い繊維質の有機プラスチックの防御壁を合成したのである。
むろんこれは自然の微生物により分解され生物生態系と自然環境を汚染破壊することはない。
むしろ含有する珪素、炭素を土に還元することになり有機肥料にもなるのだ。
つまり竹は人類が製造する結果を考えない合成ではなく安全性、健康性を考えて有機化合物を創造するのだ。
ここが竹と人類の倫理と能力の相違である。
竹には竹水で触れたように、多様な成長ホルモン、猛烈な殺菌防臭があるタンニンのような物質、
そして生命の根幹でありミトコンドアの構成成分である珪素、永遠不滅の微小生命体、ソマチッド、
葉緑素、細胞新生因子など生命の存続、維持、修復、再生、成長、繁殖あらゆる要素が含まれる。
有害な化学肥料のレベルではない。
竹の茎,地下茎、それらを粉末にさせ土壌に還元すると劇的な現象が起こる。
バクテリア、ミミズ、微生物さえ存在しない死んだ土が見事に生き返るのだ。
その吸引力こそ竹に含まれら珪素でありソマチッドであり神の手といわれる選択毒性をもつ強烈な殺菌物質なのである。
これは単なる殺菌だけの無差別的な抗生物質ではなく、自然全体に有益な乳酸菌、酵母、
有用バクテリアには毒性を与えることはない。
これが竹が神の木と呼ばれる正体だ。
炭の力は炭素であり、それは原始生命体が基本骨格を形成する元素であった。
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