最後の審判
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闇は人類に昆虫食を推進しているが失敗に終わるだろう。
人類は雑食、または草食唐物として進化してきた。
すなわち昆虫がもつ堅いキチン質を分解し消化し生命に有用な物質に還元する能力がない。
闇の力は光でいきずまり虚しい終りを迎えている。
人類の存在と歴史は無限の一瞬の泡沫であるがそれだけにその瞬間には意味があった。
真実の生きられる世界、文明は虚構でありその時、歴史的構造能力がない中にすべでが構築された。
それは死のエネルギー、欲望に支配され滅亡に向かう道である。
目覚めの時である。
自然は人間に真実の光に照らされる試練を与えた。
自然に目覚める。
薬草の生命力に目覚める。
精神の普遍的な主体的な感性はここから始まる。
それが生きる生命力の自然哲学であった。
自然回帰
捏造された大規模な食料危機。
捏造された昆虫食、農薬汚染、食品汚染、これは支配的な欲望の産物である。
人類の不幸は自然の生態系の調和から離脱しそれを支配しょうとした利己的な傲慢にある。
何も食えなくなった時人は餓死して自滅するのか、だが生命の起源は海と森であった、
そこには豊かな野草、漢方薬、多様な生命力絶倫の薬草がある。
それは不自然に欲望の論理により加工されたものではなくあるがままの自然の糧であった。
縄文人が教えたように彼等の生存社会様式は森の木の実、樹液、根茎は、野草であり薬草だった、
それを公平に分ける。
宇宙の普遍的な真理は生成変化と永遠の流動である。
破壊も一つの生成変化という流れの一つであるがしかし長くは続かない。
何故ならば宇宙は一つの秩序、調和により持続するからである。
人類の歴史の不幸は普遍的な道徳の調和の力である。
神になりかわりこの世界を支配したことにある。
人は神にはなれない。
それは全知全農ではないからである。
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救世主
人類が危機に終末の絶望に貧したときこの世から救世主が現れた。
それが仏教の教祖、仏陀であり空海、親鸞であった。
そして21世紀、二人の救世主か現れるだろう。
一人は米国に、一人はアジアである。
だがそれは人類の欲望の奴隷となった人々に精神の目覚めと良心を呼び起こすことである。
生きるとは何か?幸福とは何か?
その自然の目覚めを呼び起こすことである。
現代文明な即物的な物質に支配された世界である。
心という精神性が失われ華やか物資的享楽に惑わされそれが人生の目的となっている。
こうしてそこに争いの無限の負の連鎖が起きる。
それは自滅と破壊の論理より進行する自滅の道であった。
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